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院長ご挨拶

この度、2019年9月に名古屋市中区伏見にて「足立耳鼻咽喉科 伏見クリニック」を開院させて頂くことになりました、医療法人成松会 足立耳鼻咽喉科 理事長の足立と申します。

経歴
出身地 兵庫県
1998年 三重大学医学部卒業
2001年 三重大学耳鼻咽喉科頭頚部外科教室入局
  国立三重大学病院 勤務
2002年 鈴鹿中央総合病院 勤務
2006年 市立四日市病院 医長
2010年 「足立耳鼻咽喉科」 開業


開院に先立ち、ここに至るまでの経緯や想いをお話させて頂きたいと思います。
三重県四日市市にある本院は、2010年2月1日に開院しました。
当時はこの地区に耳鼻科が少なく、患者さんが遠方まで通院してみえることを知り、少しでも役に立てればと開業を決意致しました。
開業するにあたり、以下のことを必ず実現しようと心に誓いました。

  1. 地域医療へ最大限貢献出来るよう、医師・スタッフが常に自己研鑽し、患者さんに最適な医療を提供したい!
  2. 病医院に対して最も多い要望、「待ち時間をなるべく短く」「自身の病気に関する適切な情報提供」の二つをクリアー出来るクリニックにしたい!
  3. こんなクリニックにしたい!という熱い想い=「理念」に則った診療・経営をしていきたい!
  4. 患者さんだけでなく、共に働いてくれるスタッフのみんなの想いを大切にし、共に成長していけるような明るく、楽しい職場にしたい!

このような気持ちを忘れずに診療を続けてきた賜物でしょうか、おかげ様で多くの患者さんに頼りにして頂き、忙しい日々を送ることが出来ております。
そしてこの度ご縁があり、名古屋市においても伏見クリニックを開院させて頂く運びとなりました。地域の方に頼りにされ、喜んで頂けるようなクリニックを創りたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 

医療法人 成松会 足立耳鼻咽喉科の開業と歩みについて

安心安全で人に優しいクリニックをつくり、地域社会に幸せの循環を創る。

初めまして。医療法人 成松会 理事長 足立 光朗と申します。
私たち医療法人 成松会 足立耳鼻咽喉科は、安心安全で人に優しいクリニックをつくり、地域社会に幸せの循環を創る。を使命、いわゆるミッションにしています。またそれを実現するために大切にしている8つのバリュー・価値観があります。安心安全で人に優しいクリニックとは何か?自問自答する毎日です。

想いを共にする仲間と働く

足立耳鼻咽喉科は2009年2月1日三重県四日市市羽津山町に院長の私と6人のスタッフでスタートしました。そしてこの度ご縁があり、2019年9月2日愛知県名古屋市においても足立耳鼻咽喉科 伏見クリニックを開院させて頂く運びとなりました。現在三重・愛知の2院ですが、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。ここまで発展できたのは、ひとえに当院に来院して頂いた患者さんの御支持と、また至らぬ点の多い私をフォローして、ミッション達成のために日々主体的に働いてくれたスタッフみんなのおかげであると思い、日々感謝しております。想いを共にする仲間と働く事は、気持ちの良い事でもありますし、またスタッフの気持ちの良い対応が、当院に来院される患者さんにとっても、癒しにつながるのではと考えております。

スタッフに対して、理念への共感といった徳を大切にしているのは、医療の現場で、何よりも悩み苦しんで来られた患者さんへ寄り添う事が出来る人間である事を大切にしているからです。

ミッションを下支えするものに、『ホスピタリティ』と『女性が活き活きと働ける環境作り』をかかげています。

ホスピタリティ

クリニックにおけるホスピタリティ、一言で言うのは難しいのですが、私たちは医師が診断して、処方・処置などをする医療行為だけが、大切であるとは思っていません。受付での声掛け、子連れのファミリーが居心地の良い空間作り、仕事で中々来院できないビジネスパーソンへの配慮など、こういった全てのスタッフの患者さんへの寄り添う姿勢によって、悩まれて病んでこられた患者さんの気持ちが少しでも癒されればと考えています。

医療という現場では、看護師や事務スタッフも女性がほとんどなのですが、それは女性自身が持つやさしさが、医療という現場で求められているからだと思います。また女性の方が、患者さんや患者さんのお子さんの変化をよく見て、覚えているのも強みであり、これらは女性の良いところで、それもホスピタリティをより良いものにしてくれていると感じています。

女性が活き活きと働ける環境作り

海外では女性の首相も珍しくはありません。ホスピタリティのところでも触れたやさしさや細やかさなど、女性と男性の強みは違うと思いますが、我が国日本でも、もっと女性がその良さを出して、活き活きと働ける環境があってよいのではないかという気持ちがあります。それは女性という日本人の半分の人財をまだ日本という国は使えていないのではないか?もったいないという気持ちがあります。コミュニケーション・やさしさ・愛情、女性の強みではないでしょうか。

会話といったコミュニケーションだけでなく、ディスプレイ、ポスター、告知の動画などの発信、伝えたり表現するのは、女性がすると、華があり、上手だと思います。

七夕のディスプレイ

当法人では開院以来、希望するスタッフは、産休・育休を取得しています。結婚・出産・子育てなど、様々な働く女性のライフステージの力に少しでもなれたらなと、試行錯誤しています。

足立 光朗 ストーリー

少し長いのですが、どうしてこのように考えるようになったのか?私の生い立ちなども絡めながら、お話しします。ここからは、私の個人的なストーリーですので、ご興味のある方はお読み下さい。

医療法人 成松(なりまつ)会の由来

成松にて祖母と私

また働く女性というとどうしても思い出す女性が、私には一人います。それは私の父方の祖母です。北九州に足立山という山があるのですが、私の先祖は室町幕府の開祖 足利尊氏が九州から京の都に反撃した時に率いられてきた九州の足立山の辺りの豪族の子孫で、兵庫県のとある田舎町(旧氷上郡氷上町成松(なりまつ))に土着したようです(ちなみに医療法人 成松会の成松はこの地名から頂いています。実家のあった町名です。)。

私の祖父は町の助役をしていましたが、若くして病気で亡くなったそうです。その後祖母は女手一つで、私の父と叔母さんを育てました。折は太平洋戦争前後の激動の時代、その苦労は並々ならぬものだったのではないかと思います。祖母は長男を幼くして事故で亡くしてしまい、跡取りだった次男になる父を懸命に育てたようです。その後、孫である私は長男で、事故で亡くなった祖母の長男と被って、祖母には非常に可愛がられた思い出があります。

動物園?にて

人は愛情をかけてもらった人に、無条件でその愛を返そうとするのではないでしょうか。私も医師になったので、祖母に恩返しをしたいと思いました。しかしそれは叶わぬ思いでした。それは私が医学部6年生の夏休みの時に、心筋梗塞で突然亡くなったからです。たまたま三重から兵庫の実家に帰省していた時に、母が祖母の容態がおかしいと私に告げ、私が心臓マッサージをして、救急車を呼び、近所の病院のERに運び込まれました。その日は何とか持ちこたえたものの、数日後容態が急変、天に召されてしまいました。

少し違うのかもしれませんが、私がもし働く女性の力に少しでもなれるのなら、天国にいる祖母も喜んでくれるのではないかと妄想したりしています。それは出来なかった祖母への恩返しの代わりでもあり、また永遠にかなう事のない思いではあるのですが。

どのようにして医学部に入ったのか?~意志あるところに道あり

私は大阪の金蘭千里という中高一貫の私立の高校に通っていました。中学受験というのは確かにしましたが、当時その金蘭千里という中学校はそれほど難関校というわけでもなく、また当時中学受験というのは大したこともなく、それほど本格的に勉強した訳でもなく、それなりに勉強したら、何となく受かったという程度のものでした。学校では、学級委員を指名されたり、サッカー部に仲の良い友人に誘われて入っていました。サッカー部は進学校のサッカー部なので、そこいらのサッカー好きといったところでしょうか。何となく要領よく、そつなく学生生活をこなしている普通の高校生だったと思います。数学や物理が得意でしたが、歴史なども好きで、いつしかヒューマンサイエンス、建築や医学を志すようになっていました。ただ建築は、アートでもあり、お父さんが有名な建築士という同級生のデッサンを見た時に、自身の才能の無さを実感、どちらかというと医師の方が向いているのではないかと思うようになっていました。

そんな高校時代のある時、父の仕事があまり上手くいかない時期がありました。それは時代の流れで、町の商店街の小売り店がイオン(私の弟が今は勤めているのですが。)などのショッピングセンターに押されていく時期だったように思います。父が仕事を転換して持ち直すまで、家計がしんどい時期がありました。

王子動物園 私と弟(三男)

しかしそんな時に私に勇気をくれたのはサッカー部の友人でした。何も言わない私を、何も聞かないまま受け入れてくれ、いつ度となく励ましてくれたと思います。サッカー部の友人で、同じく医学部に行った同級生のW君の何の話をしていた時か忘れましたが、話した言葉は、折れそうな私の心を支えてくれました。その言葉は、『意志あるところに道あり』です。もし本当に勉強したい、大学に行って医学を学びたいという意志が本物であれば、そこに道が開けるのではないか。そう信じて、その時期を乗り切り、縁あって三重大学医学部に入学しました。

私はサッカーの名プレイヤーでもなんでもなく、ただのそこいらのサッカー好きですが、もし私がサッカーに出会わなかったら、サッカー部であの素晴らしい友人たちに出会わなかったら、私は希望を失って、医学部には入れなかったのではないかと思うのです。ですので、私は、人は一人で生きているのではない。お互いに支えあって生きているのだと思うのです。サッカーやサッカー部の友人たちは今でも私の宝物です。

医学生から研修医、開業まで~サッカーボールよ、有難う!

医学生時代は、家庭教師や塾講師といった実入りの良いバイトをするようになり、贅沢はできませんが、普通に学生生活をする分には特に問題はありませんでした。『若い時の苦労は喜劇。年を取ってからの苦労は悲劇。』という言葉もあり、ある程度落ち着いてからは、足が早かったので、陸上部とサッカー部を兼部しながら、つつましやかながら学生生活を、謳歌していました。幸いここでも人間的に立派な友人たちに恵まれ、楽しく部活動もしていました。学生時代特有の飲み会は好きでしたが、あまりお金がなく、お金のかからない練習や試合は皆勤でしたが、飲み会はボチボチでした。あまり付き合いの良いとは言えない奴だったと思いますが、部活の仲間たちも、『飲み会は好きな人が勝手にやってるだけだから、どっちでもいいよ。』と、来るもの拒まず、去る者追わずというかこんな付き合いの良くない私も受け入れてくれる鷹揚さがありました。偶然かもしれませんが、私は人との出会いに恵まれてきたと思います。



人は時に人生に絶望したり、自分は孤独だと感じるような時が、誰しもあるのではないかと思います。何度話をしても、何を話しても理解しあえない人もいます。でも何も話さなくてもわかってくれる人もいると思うのです。部活で出会った友人たちを思い出すと、私は決して人は一人ではないし、信用できる人もいる事を思い出すのです。言葉って何だろう。私たちの間にあったのは、サッカーボールだけです。人生に絶望しそうになった時、学生時代も社会人になってからも、サッカーボールは、人生ゲームのホイッスルが鳴るまで戦え!と言ってくれているような気がします。今でもサッカーボールは私の大切な友達です。

 

医師を志した頃は、子供が好きだったので、何となく小児科医をイメージしていました。しかし臨床研修で実際に回ってみると、難治性の病気も多く、可哀想だと心が痛むことも多かった事、手術は設計図を書くのに似ているという言葉から、何となく建築が好きだった気持ちもあり、産婦人科と耳鼻咽喉科で研修をしましたが、最終的に三重大学の耳鼻咽喉科に入局する事になりました。

経営にも興味のあった私は、いくつかの病院で勤務させて頂きましたが、その病院、その病院でやり方が違い、良い点と悪い点があるのを感じていました。ですので、自身が開業する際には、自分が理想とするようなクリニックを開業したいと考えていました。鈴鹿市の総合病院に勤務していた時に妻と知り合い、四日市市の総合病院に転勤になったのを機に結婚しました。勤務医としては、鼻の内視鏡手術や頸部の甲状腺腫瘍の手術をしたりして、充実していました。結婚後、娘を授かり、公私共に充実してはいました。

しかし救急で私が夜に呼び出されて、家を空けることがあると、妻が夜に娘と2人でいるのは怖いというようになりました。また当時勤めていた病院の近くで、耳鼻咽喉科クリニックが少なく、患者さんがどこの耳鼻科にいったらいいのか困っているエリアがありました。将来的にはクリニックで地域医療に貢献したいという気持ちが元々あったところに、家族を大切にしなければならないという気持ちが芽生えてきた頃、某地銀の関係者であった妻の叔父さんから、開業の担当者に会って欲しいと、法事で言われ、そこからとんとん拍子に話が進み、2010年2月1日四日市市羽津山町に開院しました。

幸い市立病院時代の患者さんやご近所の患者さんからの御支持を頂き、また素晴らしいスタッフにも恵まれ、紆余曲折がありましたが、現在に至っています。

徳ある人の知を育てる~理念への回帰

クリニックが流行るのは有難い事なのですが、繁忙期には1人で1日200人以上の患者さんを診る多忙で疲弊する毎日でした。残業も多く、今はみんな若いからいいけど、このままでみんな持つのか?という不安がありました。

そこで院内改革しようと。患者満足度を上げつつも、徹底的な効率化するシステム作りを進めました。その後院内改革について来てくれたリーダーや改革に理解のあるスタッフと共に改革を進め、仕事量はほぼ同じでも、残業時間を1/3にした改革に成功。スタッフも疲弊から逃れる事ができ、色々な取り組みを考える余裕が出来てきました。

改革に成功したのは良かったのですが、一時スタッフの能力を最重要視した人事を行った時期、院内の雰囲気が悪くなった時期がありました。かの有名なP・ドラッカーの言葉に、『人事は組織の精神を現す。その価値観は人事に現れてくる。』というのが、ありますが、知を最優先した人事は私の失敗でした。

思えば、知を重視するあまり、人として大切な徳をないがしろにしてしまっていたのです。ある尊敬する先生のクリニックを見学させて頂いた時に、『徳ある人の知を育てる。』という言葉を頂きました。正に私が見失っていた事でした。

 

ドラッカー塾という経営塾で、もう一度経営者としての態度を改め、徳ある人の知の成長を待つことを大切にするようになったのはこの時からでした。

想いを共にする仲間と働く~ミッションについて

私たちは、『 安心安全で人に優しいクリニックをつくり、地域社会に幸せの循環を創る。 』をミッションにしています。

クリニックに来られる患者さんは、その地域に住んでいる、ないしは仕事で来ている方です。その地域にクリニックとして、どんな貢献ができるかを大切にしています。しっかりと一人一人の患者さんと向き合い、しっかりした説明やカウンセリング、待ち時間の少ない効率化で、患者さんの時間を大切にできるようにしたい。子供と来やすい雰囲気・接遇などを地道に続けていきたいと思います。クリニックキッザニアもその一つの試みです。子供の頃、病院は怖くなかったですか?私自身、こわくて逃げ回っていた記憶があるので、嫌がる子供の気持ちは何となく解ります。『ここは何となく怖いだけのところではなさそうだ。』と、心のハードルを下げる工夫は、子供には大切だと考えています。

 
 
バリュー・価値観は私たち足立耳鼻咽喉科のある時の失敗から得た教訓で、一つ一つのバリューには思い出があります。

例えば、時間を大切にするというバリューもあり、伏見クリニックでは忙しいビジネスパーソンのために、時間予約も導入しました。また受付から診察・会計までの間の待ち時間を少なくする効率化も、患者さんの時間を大切にするバリュー・価値観を現したものです。

私たちはミッション・想いを共にする仲間と働く事を大切にしています。大会社とは違い、私たちはクリニックで、もっと小さな集まりのグループで、この小さなグループの中では、バリュー・価値観といった想いを共にして、仕事が出来るのではないかと信じています。例えば、希望するスタッフは産休・育休を取得していますが、これも足立耳鼻咽喉科全体のミッション達成のために、プラスになると信じています。

それは結婚・出産・子育てなど、様々なライフステージを経験した女性の未だに活かされていないポテンシャルを信じているからです。戻ってきたスタッフはよりお子さんをお持ちの患者さんにより添えるのではないかと考えているからです。

またサッカーで出会った仲間と同じ、人は一人で生きているのではない、男性も女性もお互いに支え合って生きているという事を信じているからでもあります。私たちは、想いを共にする仲間達との多様性のある未来を信じています。

想いを拡げる~足立耳鼻咽喉科 伏見クリニック開院

私事ですが、今年で結婚14年、小学生の娘がいます。1人でサッカーやフットサルは難しいので、ジョギングやトレッドミルで走っています。外を走る時はバフランをする時もあります。休日で子供と公園で遊ぶ時は、お遊びですが、バトミントンやテニスをしています。娘は女の子なのですが、運動するのが好きで、本を読むのも好きなので、休日は公園で遊んで、図書館や本屋に寄って帰ることが多かったです。

この度名古屋市伏見にて、近隣の耳鼻咽喉科クリニックが閉院して、耳鼻咽喉科がなくなり困っているエリアで、足立耳鼻咽喉科 伏見クリニックを開院するご縁を頂きました。トヨタのお膝元名古屋市は、ビジネスパーソンの多いエリアで、四日市とはまた違った声があろうかと思いますので、是非貴重な声をお聞かせいただければと思います。名古屋もそうですが、四日市も働いている現役世代の家族が多いエリアです。

日本という国はもう少し働く現役世代を応援していった方がよいのではないかと常々考えています。私は、亡くなった祖母も自分の娘も、どちらも大切で大好きです。ただ未来を変えていくのは若者ではないでしょうか。若者や現役世代を犠牲にする国に未来はないと思います。想いを共にする仲間と共に、世のため、地域のため、患者さんのために地域で必要とされる耳鼻咽喉科診療をしていく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

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